今から五百年ほど前、小矢部川が手洗野の里を流れていました。その深淵には雌龍が住んでいました。また、五十辺の白山池には雄龍が住んでいて、この二匹は夫婦として、鍾乳洞を通じて行き来していました。ある日、赤丸城主・中山国松が、五十辺の山中へ狩りに出かけました。そこで、身の丈60mもの大蛇となって山を巡っていた雄龍に出くわし、驚いてこれを弓矢で射殺したのです。それ以来、殿様は原因不明の病気になり、ついに亡くなってしましました。
その頃、国上寺信光寺の住職・梅山和尚は、夜の明ける前からお経をあげるのを日課としていました。そこへ、いつからともなく一人の美しい女の人がお堂の外にたたずんでそっと手を合わせる姿が見られるようになりました。和尚が訳を尋ねると、実は龍の妻であり、「罪もない夫が殺されたため、私は龍の身でありながら赤丸の城主をのろい殺してしまいました。罪を悔いて、夫と共に往生したい。」と泣いて救いを求めました。和尚は、この龍女を哀れに思い、仏門に入るために、後日本当の姿になって来るように諭しました。約束の日になると、ものすごい暴風雨と共にあられまでも降り注ぎ、黒雲が辺りを覆う中、一匹の巨大な龍が禅堂に巻き付いていました。和尚は、怖れもせず、仏・法・僧に帰依するための三帰戒を授け、仏様の弟子になったことを示す血脈をこの龍の耳にかけてやると、龍女は喜びの涙を流して、いずこともなく飛び去りました。
後日、龍女は人の姿となってお寺にやってきて、何かお礼がしたいと言いました。和尚が、この寺は水の便が悪く困っていると言うと、龍女は、「お寺の境内にある人の肌のような木の根元を掘ると、水が湧くでしょう」と答え、さらに二個の梅の実を置いて去りました。数日後、白山池の淵で、先に死んだ夫の死骸に折り重なるようにして死んでいる妻の龍を、村人は見つけました。
龍女に教えられたとおり、境内のサルスベリの木の根元を掘ると、清らかな水があふれ、村の人は大いに助かりました。また、龍女の残した梅の実は、やがて芽を出し、枝を伸ばし、立派な紅梅・白梅の花を咲かせ、長い間村人の目を楽しませました。
それから、二百年後の夏、紅梅は枯れてしまいました。当時の住職・密宗和尚は、その木で二体の観音像を彫って、龍の夫婦の追善供養を行いました。信光寺では、今でも観音像や井戸の跡が大切に残されています。 また、白山池の周辺の鍾乳石は、夫婦の龍の骨が化したものと言われています。さらに、信光寺の池にご飯をよそう飯がいを落とすと、信光寺の井戸にまで流れ着いたと言われ、白山池と信光寺の井戸はつながっているとも言われています。

<参考資料>「歴史の散歩みち(三千坊山を中心とした西山を愛する会発行)」
「信光寺のパンフレット、笠原輝芳氏の絵物語」「水道つつじ公園の看板−龍梅水の伝説−、龍女の噴水」などより
<水道つつじ公園「龍女の噴水」>
国吉地区は、伝説の宝庫です。
国吉探訪その3
信光寺・白山池
  −龍梅伝説−
<五十辺にひっそりたたずむ白山池>